ウィーン 楽友協会(MusikVerien)


楽友協会(MusikVerien)

楽友協会(MusikVerien) 日本語案内もあります。

ウィーン楽友協会とは、その建物自体を指している場合と、その建物を含む「音楽」に関する促進活動をしている「団体」を指す場合があります。 
建物が完成したのは19世紀のハプスブルク帝国の時代、科学技術(軍事技術)の発達により17世紀まで、市街地を護ってきた城壁が取り除かれることとなり抜本的な都市拡張への道が切り開かれ、旧市街地を取り囲むリンク大通りを巡る建設ブームが始まるなか皇帝の決裁に従ってオペラハウス、美術館、博物館など、新たな建物が建築されることとなり、1863年になってフランツ・ヨーゼフ皇帝は、現在の場所に大きな敷地を提供することとなり建物としての「楽友協会」が生まれました。

建物の完成以前に成立していた「楽友協会」の本来のプロジェクト:それはウィーン市民の中に音楽文化を一層普及し定着させるための協会独自のコンサート開催 ・ 音楽学校コンセルヴァトリウム(ウィーン最初の公的な音楽学校)の創設 ・ 楽友協会附属資料保管室(アルヒーフ)を設立させることでした。
これら3部門のひとつ、コンセルヴァトリウムは1909年には国家に移管され「K・K帝 室音楽アカデミー」と改称され、これが今日のウィーン音楽大学となっています。
他の2部門、コンサートホールとアルヒーフは今日に至るまで既に200年近く楽友協会の管轄下にあります。 コンサート開催と資料保管は、既に2世紀にわたって、楽友協会が担当する重要な部門で、現代においては、オーストリア・ウィーンの人々のみではく音楽を愛する人々の感動と情熱が、楽友協会に独自のプロフィールを創り出しています。こうした人々の個性こそが、200年以上にわたり音楽界で最高レベルを保っています。

楽友協会内に存在する各種団体:ウィーンフィルハーモニカーもそのひとつ
中二階には音楽出版社ユニヴァーサル・エディション、グラウンドフロアーにヴィルフリード・ラムサイア=ゴルバッハヴァイオリン制作工房、青少年を対象とする音楽文化団体「ジュネス」、そしてウィーンの古いピアノ・メーカー、ベーゼンドルファーがある。更にウィーン男声合唱団が「入居」しています。
そしてムジークフェラインと不可分に結びつき、協会や建物同様クラシック音楽の担い手として世界的に知られるのがウィーン・フィルハーモニカーです。
これらの組織・団体は、長い歴史の中で互いに深く結びつき楽友協会とウィーン・フィルは組織的には全く別々の完全に独立した団体でありながら、音楽的には不可分の存在でウィーン・フィルの類稀な黄金の響きと印象的なコンサートにとって、音響の奇跡たる「楽友協会」の大ホールは不可欠の前提条件であるとともに、ウィーン・フィルの登場しない「楽友協会」大ホールも又その本質的輝きを失うと言えるでしょう。

地域の簡単な地図を紹介しています。

1959年以来テレビで中継されるウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、国際的な音楽イベントであり、同時にウィーンの音楽的伝統を世界に紹介する文化使節となっています。(国際放映はオーストリアの国営放送ORF) これは1870年から実施されている会員制定期演奏会同様、ウィーン・フィルの主催するコンサートとなっています。
オーケストラと協会の親密な結びつきから、ウィーン・フィルによる楽友協会のためのコンサートが定期的に開催されるのも当然のことである。こうして毎シーズン、「楽友協会」ではウィーン・フィルの演奏する多くのコンサートが開催されています。

1992年のニューイヤーコンサート:カルロス・クライバー 楽友協会ホールの改修前の様子が良く分かります。

2013年のニューイヤーコンサート:フランツ・ウェザー・メスト
2004年、地下に4つのホールが建設されるとともに既存のホールも改修され空調設備等の導入がなされています。