ベルギー 地図


現在のベルギー王国としての歴史は意外と浅く、オランダから独立したのは1830年でした。それ以前ベルギーという地域は、ヨーロッパ列強国の支配を受けてきており、ハプスブルク家やスペイン、オーストリア、フランス、そしてオランダの支配下にありました。
この地域は、旧石器時代の始めから、すでに農耕と漁労を主とする人類が住み、氷河期が去り農耕が盛んになると金属加工も発達しました。さまざまな民族がヨーロッパ東方から移住してきて、現在のベルギーのあたりに定住し始め、その後ケルト人が移住してきました。記録に登場するのは、紀元前57年にユリウス・カエサル率いるローマ軍によって征服された時で、ベルガエ族はガリアで最も勇猛果敢な部族と、カエサルは「ガリア戦記」に記している。ケルト語で戦士を意味するベルガエ(Belgae)はベルギーの語源となりました。その後、ローマ帝国の支配下にありましたが、帝国の衰退とともに5世紀になると、ゲルマンのフランク族が侵入し、この地方を占領します。ローマ帝国はその結果北部を放棄し、南部へと後退をよぎなくされ、その結果ゲルマン語を話す人々の北部とラテン語を話す南部へと二分されました。現在のベルギーがゲルマン系の北部とラテン系の南部と言語境界線によって二分されるルーツがここにあります。
ベルギー地図の各種領域を表示してみると
ベルギーの公用語は3つで、複数あることからでもわかるように、ベルギーは異なる民族が集まって1つの国ができているため国の体制も複雑になっています。
下段の地図(言語領域を色分け表示)のように、はっきりと言語地域が南北に分かれています。
2010年の統計によると、ベルギー王国の総人口は、1,089,538名、各地域での人口比は下記の通りで、
6,251,983人(フランデレン地域:オランダ語)
3,498,384人(ワロン地域:フランス語、ドイツ語圏の75,255人を含む地域)
1,089,538人(ブリュッセル首都圏域:オランダ語、フランス語が併用)

この北部フランデレン地域と南部ワロン地域の言語分離が激しく、大きな社会問題(経済格差等の問題もある)でもあり、ベルギーの言語戦争、などと呼ばれてもいます。さまざまな軋轢に対応する結果、1993年ベルギーでは連邦制を導入し、言語によって区別する3つの地域(場所による区分け)と、3つの言語共同体(利用する言語による区分け)に分け、計6つの地方行政区分と中央の連邦政府で構成されることになりました。地図を利用した連邦行政区割り表示では、3分割地域のみの表示となっています。実際はこれに、3つの言語共同体が重複して6つの地方行政区となっているそうです。この区分については、あまりわからなくでも良いかもしれません。

下記の概要案内では、
ベルギー領域の表示
連邦行政区の区割り(3つの区域に分けられます)
言語領域の表示(4つの区域に分けられます)
ベルギー国内で、登録されている世界遺産の一覧

ベルギー国歌

ベルギーの国歌はベルギー中部地方に位置している「ブラバントの歌(Brabançonne)」と呼ばれます。 この地域は、フラマン語圏とワロン語圏の対立がありフランス語・オランダ語・ドイツ語の三つを公用語とすることから、国歌もフランス語とオランダ語の二つの版があります。
(日本語訳)
親愛なるベルギーよ
我等の体と魂を汝に捧げん
祖国よ 我等は願う
汝が威光と栄華と共に永らえんことを!
破られることなき団結の下で
汝のモットーが高らかに響き渡る
王、秩序、そして自由よ!