ベルリン・ブランデンブルク門


ベルリン・ブランデンブルク門

非常に有名な場所であるベルリンのブランデンブルク門は「戦勝」記念の場所となることも多い場所です。
2014年に開催されたワールドカップ・ブラジル大会で、4度めの優勝を果たしたドイツ代表チームの歓迎式典でも、ブランデンブルク門の両側に約40万人の人々が集結したとされています。
ブランデンブルク門はあまり写っていませんが歓迎式典の様子です。

この門の名称の由来は、門を出て西に進むとかつてのブランデンブルク辺境伯の首都であったブランデンブルクに通じることからこのように呼ばれています。
門が作られた後、様々なイベントの舞台となってきた場所で、1806年10月 イエナとアウエルシュタットの戦いでプロイセン軍を破ったナポレオン軍は、この門を通ってベルリンに凱旋しました。 その際東側の広場が、現在の名称「パリ広場」に変更となっています。
1933年にヒトラーが政権を掌握した際にも、総督府までのパレードの場所となりました。
また冷戦時代においては、東と西ドイツとの境界線でもあったため永らく立ち入りが禁止されていた象徴の場所ともなっていました。
ブランデンブルク門から西に伸びる大通りには、「6月17日通り」(旧西ベルリン側)という変わった名称が付いていますが、これは冷戦時代の1953年6月17日、東ドイツで起こった市民運動をソ連軍が武力制止したことによって、たくさんの犠牲者を生み出し、それに抗議して、この通りが「6月17日通り」と改名されています。 ドイツの場合は、「通り名」は改称の機会が非常に多いため将来も現在の呼称が存続するかは不明です。

ブランデンブルク門所在地を地図で確認できます
現在は、大使館や有名ホテルなどがならぶ首都圏を構成する重要区域となっています。

通常時のブランデンブルク門の観光