ワルシャワ ポーランド 地図


ポーランドは、10世紀に建国され15-17世紀には東欧の大国。18世紀末には3度にわたり,ロシア,プロシア,オーストリアの隣接三国に分割され,第一次大戦終了までの123年間世界地図から姿を消していました。第二次大戦ではソ連とドイツに分割占領された。大戦での犠牲者は,総人口の5分の1を数え,世界最高の比率でした。第二次大戦後の冷戦時はソ連の影響下に置かれ、共産主義政権が支配していましたが国内の民主化とソ連の崩壊を経て、1999年にNATOへの加盟、2004年にEUへの加盟が実現しました。

ワルシャワ Warszawa の地図

ワルシャワは、ポーランド(人口約3.820万人)の首都で最大の都市。人口は約172万人。 第2次世界大戦時に、戦禍で荒廃するも、「煉瓦のヒビに至るまで」に復元して往時の町並みを回復した「ワルシャワ歴史地区」は世界遺産にも登録されています。
街の起源は意外と新しく、13世紀ごろまでは寒村に過ぎませんでしたがポーランド王国に編入された後に、街として大きく発展することになりました。
1596年、ジグムント3世の時代、ポーランド王国は古都クラクフよりワルシャワへと遷都し、1611年に正式にポーランドの首都となります。
ワルシャワを含めたポーランドの位置は、西にプロイセン(現在のドイツ)、東にロマノフ王朝(後のソ連-ロシア)と列強に挟まれていたため、ナポレオン戦争、第一次大戦、第二次大戦と続くなかで、列強の征服を受けることとなっていくました。
独立の悲願は強く、ワルシャワは幾度となく民族運動の中心地となりましたが、幾度となく鎮圧されています。 一番の大きな災禍は、第二次大戦末期に起きたワルシャワ蜂起で、東部戦線で連敗続きであったナチス・ドイツ軍に対してワルシャワ近郊までソ連軍が肉薄しましたが、呼応する形でワルシャワでレジスタンスによるナチス・ドイツ軍に対して一斉蜂起が行われるも、ソ連軍は動かず(ワルシャワには進軍せず)、ナチス・ドイツ軍による市街地焦土作戦によりワルシャワ市街は焼け野原となり、やがてレジスタンスは鎮圧されてしまうこととなりました。 これが冒頭で記述した「煉瓦のヒビに至るまで」の復元をしなければならなかった理由です。
ピアニストであり著名な音楽家でもあるショパンに関する遺跡も多く残されています。