モスクワ ロシア 地図


ロシアは、83の連邦構成主体に分かれていますが、そのうち21主体が共和国を称した国からなっています。共和国とはロシア連邦の枠内で自らの国土や国語を持つことができ、名義上の国民国家を形成している地域に設けられています。基本的には連邦国家を構成しています。ヨーロッパとロシアとは密接な経済関係が維持されています。 ロシアはEUにとって米国・中国に次ぐ第3の貿易相手で、天然ガス等のエネルギー関連の輸入先の一つとなっています。

モスクワ地図 ロシア

モスクワの人口は1.150万人ですが、近郊地域を含めた都市圏人口は、約1.370万人とされています。
町が形成された時代は意外と新しく、1147年にキエフ大公国のユーリー・ドルゴルーキーが会合を行った場所が最古の記録として残されています。1156年に砦が築かれて以降、徐々に都市化が進んでいましたが、1237年から1238年にかけてはモンゴル帝国軍によって一時壊滅しました。
以降の時代もモンゴル勢力下の影響のもと、町が再構成されていましたが、大きな転換点は、1480年にイヴァン3世がモスクワ大公国をモンゴル勢力圏から完全に独立させ、「タタールのくびき」を終わらせることに成功しました。「タタールのくびき」とは、スラブ人から見たモンゴル支配のことを意味しています。

モスクワは、ロシアの都となりウスペンスキー大聖堂やブラゴヴェシチェンスキー大聖堂やアルハンゲリスキー大聖堂を建設・再建し、クレムリンを壮麗に改装し、前に赤の広場が建設されたのもこの時代です。その後やや混乱の時代を経過した後、1613年にはミハイル・ロマノフがツァーリに選出されてロマノフ朝が成立しました。
ロマノフ朝時代は国土の拡張にともないモスクワも成長を続けましたが、ピョートル1世が1712年にロシア北西端のネヴァ川河口にサンクトペテルブルクを建設したことで首都が移転されてしまいました。
より西欧に近いサンクトペテルブルクに対し、モスクワは古いスラブ主義の思想の中心地となっていきます。
ロシアにおいて社会主義革命の完了後、ソビエトによって1918年に首都機能が移転され、ソビエト連邦とロシア・ソビエト社会主義共和国の首都となりました。
大祖国戦争時には市の北西40kmの地点にまでドイツ軍が進出したものの、やがて撃退、首都は護られました。やがてソ連邦の解体の後、ロシア共和国の首都として発展しています。

ロシア国歌
新生ロシアが誕生した1991年から数年の間は、他の曲が利用されていましたが、21世紀に入ると「20世紀のソ連時代」の曲が復活し、新たな歌詞がつけられました。

Россия – священная наша держава,
Россия – любимая наша страна.
Могучая воля, великая славаs –
Твоё достоянье а все времена!
Славься, Отечество наше свободное,
Братских народов союз вековой,
Предками данная мудрость народная!
Славься, страна! Мы гордимся тобой!

От южных морей до полярного края
Раскинулись наши леса и поля.
Одна ты на свете! Одна ты такая –
Хранимая Богом родная земля!

Широкий простор для мечты и для жизни.
Грядущие нам открывают года.
Нам силу дает наша верность Отчизне.
Так было, так есть и так будет всегда!

ロシア 我等が聖なる帝国
ロシア 最愛の祖国
強大な意思の力 偉大なる栄光
常しえに誉れ高くあらん

讃えよ! 我等が自由なる祖国を
長きに渡る同胞の団結
祖先より受け継ぐ民の知恵
祖国よ 永遠なれ!我等が誇り

南方の海から北極圏まで至る
我等の森林に原野
世界で唯一無二の存在
神が護りし祖国よ!

多くの夢と人生の希望を広く受け入れ
築き続ける確固たる未来
母なる大地への忠誠が我等に力を与える
過去も 現在も 未来にも!