シンガポール 観光地図
シンガポールが歴史上で、大きな分岐点を迎えたのが、1819年にイギリス人のラッフルズがジョホール王国からシンガポールを割譲させ、イギリスの支配下に置いたことに始まる。東方進出を目指すイギリスは東南アジアの交易ルートを制するシンガポールの地理的重要性に着目してシンガポール港を開き、1826年にシンガポールはマレー半島のペナンやマラッカとともにイギリスの海峡植民地となった。
植民地時代は、同じくイギリスの植民地であるインドやオーストラリア、中国大陸などとの間でのアヘンや茶などの東西交易、三角貿易の中継地点としての役割を発展させるとともに、シンガポールを東南アジアにおける植民地拠点として、イギリス海軍および陸軍部隊を駐留させ要塞化した。
1941年12月8日に太平洋戦争が始まると、日本陸軍による攻撃を受け(1942年2月7日-2月15日)、イギリスは無条件降伏。その後は日本陸軍による軍政が敷かれ、シンガポールは「昭南島(しょうなんとう)」と改名された。
1945年8月、敗戦により日本軍が撤退した後、再びイギリスによる植民地支配は継続するものの、その他多くの国でみられたようにイギリスの植民地支配は終焉を迎えることとなる。 1959年6月にシンガポールはイギリスの自治領となり、1963年にマラヤ連邦、ボルネオ島のサバ・サラワク両州とともに、マレーシア連邦(Malaysia)を結成することとなった。
マレー人優遇政策を採ろうとするマレーシア中央政府と、イギリス植民地時代に流入した華人が人口の大半を占め、マレー人と華人の平等政策を進めようとするシンガポールとの間で関係が悪化。少なからずの軋轢を経て、1965年8月9日にマレーシア連邦から追放される形で都市国家として分離独立を果たすこととなった。
都市としての歴史は、近代からであり、特殊な形態で形成された都市国家であるため、東南アジアの他国にみられるような文化遺産などの観光資源は少ないかわりに、通商立国でもあるため、魅力的な商業施設や文化的なアトラクション(洗練されている)が、数多くみられるのが特徴である。観光客が訪れる場所は、割合と狭い地域に集中しているため中心部では、地下を走るMRT(Mass Rapid Transit)列車で、ほとんどの場所へいくことが出来る。
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