トルコ 地図


トルコの面積は日本の約2倍の大きさです。地政学的に重要な場所に位置しているため、多角的な平和外交を基調としていますが、北部地域は旧ソ連邦の領域(冷戦時は敵対関係)であるために、近隣諸国の思惑とトルコの事情とが、同一傾向には程遠く、遠く離れた欧米との協調関係が基本姿勢であり、NATO、OECD、OSCEの加盟国にもなっています。
トルコの最大の外交目標はEU加盟とされていますが、2005年10月よりEUとの加盟交渉が開始されるが、交渉の行方は不透明な状況が続きます。 旧東欧地域の国のEU加盟が、トルコと比較する上で比較的容易であったことや、最近のEU加盟国による財政破綻などから、EU自体にも問題が発生していることなど様々な点に問題があります。
また、南部地域に接するイラン・イラク・シリアは、国際協調上、不安定要素を抱える国ばかりでもあり、西南部のギリシャ・キプロスとは、トルコと歴史的紛争を抱えています。

トルコ共和国の概要

現在のトルコの地は、人間の有史以来、さまざまな民族が入れ替わって帝国や、王国が建設されてきた地域であり、現在も居住しているトルコ族が歴史に登場したのは6-11世紀ごろであるため、それ以前に興ったヒッタイト帝国・ペルシア帝国・東ローマ帝国などとは、構成された民族により区別されている場合があります。
ビザンチン帝国の建設・十字軍の来襲や、モンゴル勢力が衰えはじめた13-14世紀にオスマン・トルコ帝国が興り、最盛期である16世紀には、遠くヨーロッパ地域(ウィーン市包囲)まで侵略を開始。また北アフリカ地域やペルシア湾沿岸地域まで拡がる大帝国がつくられました。 その後、西欧の列強の勃興とともに、オスマン帝国は縮小、20世紀はじめドイツ側について第一次大戦にも参加するも敗戦、その後国外の領土放棄や連合軍による国内の分割統治によるトルコ民族存亡の危機を救い、現在のトルコ共和国の基礎(初代大統領にもなった)をつくったのがムスタファ・ケマル将軍です。 ムスタファ・ケマル将軍は、軍事力・ローザンヌ条約等で、国土をほぼ現在の領土として回復させ、オスマン時代のスルタン制度も廃止、共和国成立後は、イスラム教であった国教から政教の分離、教育の義務化、女性参政権、太陽暦(イスラム教では太陰暦)の採用、メートル法、ローマ字の採用など、トルコ近代化(防衛化含む)のために改革を行った世界有数の指導者でした。 生存中に称号アタチュルク(トルコの父)が与えられ、現在のトルコでも数多くの遺構が残されています。

トルコのEU参加は不透明な状況ですが、トルコから欧州へは移民をはじめ長期・短期の労働者として20世紀より数多くの人口移動がみられます。トルコの人口増加も永遠ではなく、21世紀の半ば以降ですが、ヨーロッパ諸国と同様に、人口減少カーブを描き始める予測となっています。
国内の世界遺産分布図も掲載しています。