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ホーチミン 地図(ベトナム)

ハノイから南へ1730キロ離れたベトナムの最大都市である。ホーチミン市の人口は約600万人とされるが、周辺人口を加えた場合は約700万人を超えて発展している。首都ハノイがベトナムの政治の中心なら、ホーチミンは経済の中心である。
街の起源は新しく、三百年前は荒れ地であった。今では市街地が広がっている一帯は、もともとは沼地であり、ベトナム人が入ってくる何世紀も前からクメール人が住んでいた。 カンボジア支配のなかで、北部地域のベトナム内戦から逃れたベトナム人難民を受け入れてゆくうち、定住者が増加。タイとの戦争により弱体化したカンボジア王国はベトナム人入植を妨げることができず、この一帯はゆっくりとベトナム化していきやがてサイゴンと呼ばれるようになった。
その後、1859年にフランスによって占領され、1862年のサイゴン条約で阮朝はフランスによる支配を認めた。その際にサイゴンは開港し、1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速に発展した。ベトナムがフランスにより植民地として占領されている間、この街はフランスの影響を受け、数多くの西洋風の建築が造られ、サイゴンは「極東の真珠」とか、「東洋のパリ」 と呼ばれていた。
1954年のジュネーヴ協定によりベトナムが公式に北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)に分断されると、アメリカ合衆国の影響下でゴ・ディン・ジエム大統領に率いられた南ベトナム政府は、引き続きサイゴンにその首都を置いた。 1975年4月30日にベトナム戦争が終結すると、この街はベトナム人民軍の支配下に置かれた。その後、社会主義体制を望まない多くの市民が逃れたため、周辺国への難民が多く発生した。
1976年、ベトナム社会主義共和国が成立したことにより、サイゴンの街(チョロンを含む)は近隣の州の統合を経て、独立戦争の指導者ホー・チ・ミンの名を冠したホーチミン市となった。
現在、ベトナムの大きな経済通商の中心であり、巨大なビルや貿易センター、事務所、娯楽施設、高級ホテルなど多数が建てられている。


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