ザルツブルク 地図

ザルツブルク

現在はオーストリアに属しているザルツブルクは、ハプスブルク家が支配していたウィーンやインスブルックとは異なり、ローマ・カソリックの大司教が領主を兼ねて統治をしていた教会国家の都市です。
現代では、夏季に開催されるザルツブルク音楽祭も有名です。
モーツァルトがこの地で生まれ、幼少よりヨーロッパ各都市を演奏旅行で廻り、やがてウィーンに引っ越します。 やや宗教くさい街の雰囲気(ザルツブルク)があわなかったのかもしれません。 ウィーンやプラハに向かったモーツァルトは大成功をおさめます。(波乱の人生でした)

ザルツブルクは、ザルツブルク州の州都でもあり人口は約16万人。
西暦700年ごろに創設されたザルツブルク司教区は9世紀に大司教区に昇格。13世紀になると大司教たちは、神聖ローマ帝国の王侯ともなりました。ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意味で、15キロほど南のバート・デュルンベルクで産出される岩塩をハライン (Hallein) 市において製塩し、ザルツァッハ川(Salzach)を通じてヨーロッパ各地に送り、その塩の積載量に応じた通行税を大司教が財源としていました。16-17世紀にかけての大司教たちには、イタリア出身者も含まれており、大司教区の町「ザルツブルク」を「北のローマ」とするように建築物が造られました。 現在でも街の造りが、ハプスブルク家の影響が大きな首都ウィーンやインスブルックとはかなり異なった様式が見て取れるのはこの時代の遺産が多いためです。
18世紀のフランス革命以降、政教分離が進むと共に1803年大司教によるサルツブルクの君主権放棄宣言を経て、統治権を持たない大司教の時代が到来し、長きにわたって続いた領主大司教の支配は終焉の時を迎えました。
その後、サルツブルクは、ナポレオン戦争後処理の1816年、ウィーン会議の決議に従って最終的にオーストリアに併合されることになりました。
モーツァルトの出身地としても名高い街で、ゆかりの場所も数多く残されています。 また夏季には、ザルツブルク音楽祭も開催されており、同期間中は、高額な入場チケットとホテル料金の設定が適用されます。

ザルツブルクを動画で表示

鳥瞰地図を見る場合は、動画表示が分かりやすくなっています。

2D地図を表示

ザルツブルクを3D地図で表示 clickするとGoogle Earth Web版が展開します。
ザルツブルク

ザルツカンマーグート地図

ザルツブルクの東側、標高2000mの山々に囲まれたの高原地帯に広がる夏季リゾート地域。 冬季にはスキー場が開設される町もあります。
山麓にある小さな街や村が特徴的な地域で、主にヨーロッパ北部地域から長期の夏季滞在者が訪れる地域です。
ツアー旅行者が、ドイツからウィーンにバスで向かう場合に、景勝地の経由地として立ち寄られる場合も多い場所です。

ザルツブルク市の東、アルプスの峰々に抱かれるように、扇状に展開する一帯が、オーストリアの景勝地を代表するザルツカンマーグートです。世界遺産のハルシュタットやダッハシュタイン山塊があります。
標高500-800メートルの高地で、大小数多くの湖水が点在し、背後には2000メートル級の高山が連なります。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として世界に知られています。
スイスのように高山岳地域(2000-3000m)に、登山鉄道やハイキングコースが完備しているわけではありませんが、500-800mの高原地域で快適に過ごすことができ、比較的安い料金で宿泊施設やキャンプなどを利用できます。
中国のデベロッパーは、この地域のハルシュタットと同じ町を、中国国内に建設しました。当然オリジナル:ハルシュタットの同意をとっています。
その理由ばかりではありませんが、ハルシュタットは中国人観光客に大人気です。

ザルツカンマーグートの拠点都市ザンクト・ヴォルフガングを動画で表示

鳥瞰地図を見る場合は、動画表示が分かりやすくなっています。 位置関係を把握する場合は下記の2D,3D地図も併用下さい。

ザルツカンマーグートの拠点都市ハルシュタットを動画で表示

鳥瞰地図を見る場合は、動画表示が分かりやすくなっています。 位置関係を把握する場合は下記の2D,3D地図も併用下さい。

2D地図を表示

記載の中での「ホッホアルペンシュトラーセ」のみはザルツカンマーグートには含まれません。
ザルツカンマーグートを3D地図で表示 click すると Google Earth Web版が展開します。
ザルツカンマーグート