ドレスデン 地図(周辺地域を含む)

ドレスデン

ドレスデンはドイツ東部ザクセン州の州都。エルベ河畔に開けた町で、チェコ国境まで30kmほどの距離にあります。町を流れるエルベ川を境に、南側に旧市街、北側に新市街が広がっており、歴史的建造物は旧市街に集中しています。最大の見どころは歴代の王の居城であったドレスデン城です。 他にもザクセン・ポーランド王だったアウグスト1世が最盛期に築いたツヴィンガー宮殿や、フラウエン教会などが見どころです。またドレスデンからピルニッツ城までエルベ川下りのクルーズが運行しており、川面から眺める町の景観も格別な地域です。
1918年まで、ザクセンはプロイセンと並ぶ強大な公国であり、現在でも貴重な文化遺産が当時の都であったドレスデンに残されています。 中世の頃からエルツ山地の鉱山が栄え、域内の各都市に富をもたらしました。 また18世紀にはヨーロッパで初の磁器がマイセンで製作されていました。 自然環境にもめぐまれ、ザクセンスイスと呼ばれるエルベ河上流の渓谷は現在でも美しい場所となっています。
エルベ河のフィレンツェと呼ばれるドレスデンは、1945年2月の連合軍の大空襲で、中心部はほとんど破壊され人的にも甚大な被害を被りました。第二次大戦のヨーロッパ戦線の集結が目前に迫った時期での文化都市への爆撃では死者数が約25.000-10万名(推定)とされ、通常爆弾の使用の空爆では、1945年3月の東京空襲と同じくらいの死亡者数となっています。
旧東独時代からドイツ統一後、辛抱強い再建意図のもと、旧来の輝きをとりもどすべく修復が継続されています。 

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ドレスデン

ドレスデン郊外

郊外には複数の見るべきポイントが多数存在します。
距離的に離れているので、各ポイントをまわる場合には、事前の計画が必要です。
ザクセン・スイス
ドイツ東部の古都ドレスデンからチェコに向かう列車に乗って、エルベ川を遡ること40分ほど。ドレスデンを出たエルベ川沿いに広がるのは緑豊かな美しい風景です。この辺りの風景の美しさに因んで「ザクセンスイス」と言われるようになりました。
川沿いに広がる奇岩群や大きく蛇行したエルベ川の周辺に広がる緑豊かな風景、その奥に続く山並みやチェコまでも見渡す風景が広がる一帯です。

マイセン
日本の有名な焼き物の里(信楽、備前、萩、有田・伊万里)とは、異なりマイセンにいった場合は、磁器工房が軒を並べ、販売店がならんでいるような風景はマイセンでは見ることが出来ません。
磁器博物館に隣接する見学用工房や、直営販売店、アウトレットショップなど少数が存在しています。

町の創設は、エルベ川とザーレ川の要衝地点、エルベ川の浅瀬に近い丘に城砦を築いたことによります。これはドイツ王ハインリヒ一世によるもので930年頃、エルベ川以東のスラブ民族に対応する措置でした。12世紀末、城山の麓で発展した町に1710年磁器工房が設置された後にマイセンの名が広まることになりました。
ヨーロッパでは、すでに13世紀より 磁器を中国から高いお金を払って輸入しましましたが、18世紀の初めに 柔らかくほのかに光る高貴な磁器の愛好者で収集家であったザクセンの選帝侯の命により、研究者達が製造の秘密を解こうとしていました。 その後、すぐにアルブレヒツブルク城にマイセン磁器工房が設けられました。 城内で150年以上工房は続き、その後マイセン市内のトリービシュタールの新しい製造所に移りました。
それから以降、マイセン磁器は、世界中で青い交叉する剣のマークで世界的に知られることになりました。

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ドレスデン郊外

ライプチヒ

ライプチヒは、ヨーロッパの中では、古くから商業が栄え、その繁栄基盤を基に、芸術文化を発展させてきました。 特にヨハン.セバスチャン.バッハは人生終焉までの半生以上をこの街で過ごしたため、後世に残した遺産が数多くあります。 他にもメンデルスゾーン、シューマン、ワーグナーなどの音楽家、ゲーテ、シラーなどの文学者などのゆかりの地としても有名な都市です。
音楽の歴史とは対照的に、1989年にライプチヒ市民が東ドイツの終焉をもたらしたのは、市中心部のニコライ教会付近のミサやデモに端を発した運動でした。 わずか数か月で当時の政治体制を崩壊させてしまいました。 このため、ドイツ再統一後には、ライプチヒに英雄都市の称号が与えられています。人々の憎悪の対象だった、悪名高き秘密警察シュタージの中心的施設のひとつがライプチヒにあったことも、原因だったとされています。シュタージの活動についての展示は一見の価値があります。決して美しい過去とはいえませんが、ドイツ現代史の重要な一部分には違いありません。

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ライプチヒ

ワイマール

ワイマールが歴史に登場したのは大きく分けて2回です。(日本語ではワイマール又はヴァイマールと呼ばれています)
一度目は、ワイマール古典主義時代(18世紀後半から19世紀はじめ)で、わずか50年ほどの期間でしたが、ヨーロッパ精神史の輝ける時代に数えられています。
ザクセン=ワイマール=アイゼナハ大公妃アンナ・アマーリア(1758年に女領主として支配権を確立)と共に始まりました。 彼女は、数々の作家や思想家たちをワーマールへと招聘しました。
当時のワイマールは、権力や富の中心から遠く離れた、地方の小都市に過ぎませんでした。

その時代のもので残されている代表的なものとしては、ゲーテやシラーの家、いずれも広大な庭園が併設された、ベルヴェデーレやエッタースブルク、ティーフルトといった宮殿、ヘルダーの職場、多彩な人物が食卓を囲んだヴィトム宮殿 (寡婦宮殿) 、有名な大公妃アンナ・アマーリア図書館、ゲーテやシラーの石棺が並ぶ大公家墓所と歴史的墓所などが挙げられます。
ワイマール古典主義の最盛期に造られた建物や公園の芸術史上の重要性に加えて、18世紀終わりから19世紀初めにかけてのドイツの精神文化の中心としての役割が評価され世界遺産ともなっています。
そのため現在においてワーマールには、数多くの修学旅行の目的地となっています。

第2の全盛期とされるバウハウスの時代にも、ワイマールから熱狂的なうねりが生まれました。バウハウスは、20世紀の建築とデザインにおける極めて重要な潮流であり、当時のドイツにとって最も価値のある輸出品だったと、多くの専門家が考えています。 バウハウス博物館は、300点以上の展示点を通して、国立バウハウスの業績を紹介しています。その作品に見られる、簡素で時代を超越した美しさは、今日まで全く色褪せていません。

またワイマールを首都とするザクセン=ワイマール=アイゼナハ大公国が、1816年にドイツの領邦国家として初めて憲法を制定したということや、1919年にこの地でドイツ初の共和国である ワイマール共和国が成立した地でもあります。 共和国とワイマール憲法は、その後の激動の歴史の中で、必ずしも肯定的な評価を与えられているわけではありませんが、歴史的に名を残していることには変わりがありません。
負の歴史に加えるならば、近郊のブーヘンヴァルト強制収容所に第二次大戦時5万もの人間が虐殺された歴史記念地域が残されています。

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ワイマール

アイゼナッハ

山麓の街 アイゼナッハには、ヨハン・セバスチャン・バッハの生まれた家(博物館)、ルターの家、ワーグナー博物館もあります。 全部入場して、街の散策をすると約3時間程度、 ヴァルトブルク城への往復交通と入場で約3時間、1日で回れる行程となります。
ヴァルトブルク城があるアイゼナッハは、テューリンゲンの森の北西に位置しており高台であるヴァルトブルク城に上ると美しい森の風景を眺めることが出来ます。
この地域は、旧東ドイツ領域であったため日本発のツアーでは含まれることはまだ少ないのですが、歴史的遺産が数多く残る場所なので、非常に観光客が数多く訪れています。
高台にある中世の山城なので、往復移動には冬季のオフシーズンでも1時間に1本運行されているバスがお薦めです。 城郭内もかなりの距離を歩いて回ることとなります。
リヒャルト・ワーグナーのオペラ「タンホイザー」にも登場した、13世紀のはじめ、ヴァルトブルク城では有名な宮廷恋愛歌人ミンネゼンガー(Minnesaenger)の歌合戦の舞台となりました。他には中世の宮廷芸術や聖エリザベートの生涯と功績、マルティン・ルターの新約聖書の翻訳を行った部屋(ドイツ語へと翻訳した狭い部屋)などのゆかりの場所が多くみられますが、やはり高台からのテューリンゲンの森は絶景でしょう。

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アイゼナッハ