ワイマール

ワイマールが歴史に登場したのは大きく分けて2回です。(日本語ではワイマール又はヴァイマールと呼ばれています)
一度目は、ワイマール古典主義時代(18世紀後半から19世紀はじめ)で、わずか50年ほどの期間でしたが、ヨーロッパ精神史の輝ける時代に数えられています。
ザクセン=ワイマール=アイゼナハ大公妃アンナ・アマーリア(1758年に女領主として支配権を確立)と共に始まりました。 彼女は、数々の作家や思想家たちをワーマールへと招聘しました。
当時のワイマールは、権力や富の中心から遠く離れた、地方の小都市に過ぎませんでした。

その時代のもので残されている代表的なものとしては、ゲーテやシラーの家、いずれも広大な庭園が併設された、ベルヴェデーレやエッタースブルク、ティーフルトといった宮殿、ヘルダーの職場、多彩な人物が食卓を囲んだヴィトム宮殿 (寡婦宮殿) 、有名な大公妃アンナ・アマーリア図書館、ゲーテやシラーの石棺が並ぶ大公家墓所と歴史的墓所などが挙げられます。
ワイマール古典主義の最盛期に造られた建物や公園の芸術史上の重要性に加えて、18世紀終わりから19世紀初めにかけてのドイツの精神文化の中心としての役割が評価され世界遺産ともなっています。
そのため現在においてワーマールには、数多くの修学旅行の目的地となっています。

第2の全盛期とされるバウハウスの時代にも、ワイマールから熱狂的なうねりが生まれました。バウハウスは、20世紀の建築とデザインにおける極めて重要な潮流であり、当時のドイツにとって最も価値のある輸出品だったと、多くの専門家が考えています。 バウハウス博物館は、300点以上の展示点を通して、国立バウハウスの業績を紹介しています。その作品に見られる、簡素で時代を超越した美しさは、今日まで全く色褪せていません。

またワイマールを首都とするザクセン=ワイマール=アイゼナハ大公国が、1816年にドイツの領邦国家として初めて憲法を制定したということや、1919年にこの地でドイツ初の共和国である ワイマール共和国が成立した地でもあります。 共和国とワイマール憲法は、その後の激動の歴史の中で、必ずしも肯定的な評価を与えられているわけではありませんが、歴史的に名を残していることには変わりがありません。
負の歴史に加えるならば、近郊のブーヘンヴァルト強制収容所に第二次大戦時5万もの人間が虐殺された歴史記念地域が残されています。

ゲーテ臨終の地でもあったゲーテハウス

強大な敷地のブーヘンヴァルト強制収容所跡

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