アレクサンドロス大王

下記の地図では、「アレクサンドロス大王」の生涯を地図に示したものです。

地図の番号順は、時系列表示が 数値が増えるとともに時代(アレクサンドロス大王の人生)が、移行してゆきます。
32年間の生涯は「戦い」に明け暮れた人で、本人は、数々の「戦闘行為」に主体的に参加してことからわかるように、非常に戦いが好きな人であったようです。 ペルシアを武力で完全制覇した後、尚も現在のパキスタンやインド領域にまで侵攻を目指しますが、配下のマケドニア兵が、さすがにこれ以上はついて行けないとの理由で、「アレクサンドロス大王」の東進は止まったようです。
占領後の統治・政治・運営や、自身の後継問題においてはあまり得意でなかったようで、広大な帝国を築き上げたのちアレクサンドロスが死ぬと、その版図はアレクサンドロスの部下達によって争奪・分割されました。
これらの事案で派生した諸国はヘレニズム諸国と呼ばれます。
これらの国は東地中海からオリエント地域を支配し、ギリシア風の「ヘレニズム文化」を維持・発展させましたが、次第に共和政ローマが東へ進出することで滅ぼされ、ついに紀元前30年、最後のヘレニズム王朝であったプトレマイオス朝エジプトがローマに併合されました。このことによって、アレクサンドロスから始まったとも言えるヘレニズム時代は終わったとされます。
しかしながら、その後も ギリシア語は東地中海地域の共通語として使われ、ヘレニズム文化が継承されました。ローマ帝国分裂後も7世紀以降の東ローマ帝国では支配地域・住民がギリシャ語圏となったためにヘレニズムの伝統が重視され、キリスト教と融合した「ビザンティン文化」を生むことになってゆきます。
現在でもいわゆる「西欧」地域とはかなり異なった様子がみられます。
「アレクサンドロス大王」は、父親フィリポス2世が築いた「マケドニア王国」の遺産があったにせよ、驚くべき短期間で広大な領域を移動し、対ペルシアの戦闘においては偉大な業績を上げた人物です。 歴史的評価は様々です。

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