イスラエル 地図

イスラエル地図

イスラエルとパレスチナ自治区を色分け表示しています。
イスラエルは、日本の四国程度の大きさ、パレスチナ自治区は大きく2つに分かれ西岸地区は三重県と同程度の広さ、ガザ地区は福岡市よりやや広い領域です。 いずれの地域も人口は増加しています。

第二次大戦後、1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議を採択しました。イスラエルは1948年独立を宣言。1948年、1956年、1967年、1973年と周辺アラブ諸国と4度にわたり中東戦争が行われました。その後、1979年にエジプトと、1994年10月ヨルダンと平和条約を締結。パレスチナ解放機構(PLO)とは、1993年9月、相互承認を行い暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名が行われ 暫定合意に従って西岸・ガザではパレスチナ暫定自治政府による自治が実施されています。

イスラエルとパレスチナ自治区を超えて移動する場合は、検問がある場合とない場合が混在しています。 両地域を移動する場合は、旅行者の場合はパスポートは必ず必要となります。 

イスラエル 中東地域 現地時刻を表示
地図上をclick(海上部分を除く)と時刻が表示されます。

嘆きの壁(エルサレム)

紀元前10世紀頃、ソロモン王により第1神殿が建てられた。しかし、紀元前587年、バビロニアにより神殿は破壊される。その後、紀元前515年に第2神殿が再建されるが、西暦70年に今度はローマにより再び神殿は破壊される。神殿の外壁(西側)の一部が現存し、神殿はユダヤ教で最も神聖な場所とされていたため、神殿が破壊された後、ユダヤ人は、神殿の再建とメシアの降臨を願ってこの場所で祈り始めたとされる。

死海

エン・ゲディはイスラエル南東部の死海の西岸にある町で、近くにオアシスがあり温泉と死海で泳ぐことができる場所です。

マサダ砦

西暦66年、ローマ帝国に対してユダヤ人が決起しユダヤ戦争が勃発。70年、ティトゥスの指揮するローマ軍団によってユダヤ側の本拠地であったエルサレムが陥落(エルサレム攻囲戦)。エルアザル・ベン・ヤイルに率いられた熱心党員を中心としたユダヤ人集団967人が包囲を逃れ、マサダに立てこもった。籠城側は兵士のみではなく、女性や子供も含まれていた。
1万5千のローマ軍団が周囲を包囲したが、さすがのローマ軍も、攻撃を寄せ付けないマサダの峻厳な地形に攻めあぐねる。やがてローマ軍はユダヤの捕虜と奴隷を大量動員して土を運び、山の西側の崖をそっくり埋めて突入口の建設を開始する。ユダヤ側は執拗に防戦したが、二年がかりで山腹は着実に埋められ、やがて陥落は目前となった。
73年5月2日、ローマ軍部隊は完成した侵入路を通り、城内に突入する。ローマ兵は死にもの狂いの抵抗を予想していたが意外にも、防戦する者は1人もいなかった。奴隷となるより死をと、突入の前夜に籠城ユダヤ人は全員が集団自決していたのであった。 現在はローマ軍の駐屯地跡や砦への傾斜路も再現されています。

ティべリア

ティベリアは、ガリラヤ湖の北西岸に位置するイスラエルの都市。都市の名はローマ皇帝ティベリウスに因んで名付けられた、砂漠地帯とは違って水と緑が豊かな都市。周辺域はイエスが布教を始め、数々の奇蹟物語が起こったとされる地域でもあります。

テルアビブ

イスラエルの経済・文化の中心地かつ中東有数の世界都市で、イスラエル政府はエルサレムが「首都」であると宣言しているが、国際社会はこれを認めておらず、各国がテルアビブに大使館を置くなど、テルアビブを事実上の首都とみなしています。

エルサレム地図

エルサレムの標高は約800m。特異的なことは、直線距離で約25km(真っ直ぐに道路はつながっていません)にある死海の標高は海面下-400m。1日観光で死海方面に向かう場合、思いのほか移動時間が、かかってしまうのは、この標高差にもよります。(空港のあるテルアビブからの移動でも、エルサレムの標高800mを体感することができます)
また観光ポイントが集中しているオリーブ山と神殿の丘がある旧市街との間には、ゲデロンの谷という深い谷間が存在し、非常に高低差がある街です。 4000年以上の昔から栄えてきた街ではあるものの、数え切れない戦いの場所ともなったので、旧市街地の周りには意外なほど荒地が残されています。

観光客が巡る旧市街と、その周辺が古来からの雰囲気が感じられる観光ポイントとなっています。 見るべき場所については、地図に全記載することが、不可能なほどポイントが多く、滞在時間を勘案して、事前にテーマを絞っておくことが必要とされます。 各宗教施設によっては、休日となる曜日が異なりますので、注意が必要です。 ユダヤ教の安息日となるとホテルのエレベーターやコーヒーマシンが停止されてしまう場合もあり、通りから人通りが途絶えてしまう(見所のひとつではあるが)時間帯もあるので、曜日の設定や宗教的なイベントにも気を配っておく必要があります。
観光ポイントは、限定的に掲載しています。 お勧めは現地発のパッケージツアーで、非常に多数の種類があり自分の旅程にあわせることが可能です。 数多い観光ポイントの中から、現地の会社が選択してくれているので効率的に見てまわることが可能です。

エルサレム:2D地図を表示

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エルサレム

イエスの足跡

新約聖書でのイエスの行動は4つの福音書で記述され、簡素で、その足跡も現在のイスラエル・パレスチナ・エジプト(地図では省いています)と比較的小さな地域に限定されています。
イエスは約2千年前に、ベツレヘムで生まれナザレで大工として生活。30歳ごろ宗教家となり、約3年間の短い布教活動を行い、エルサレムで十字架に架けられ死刑となりました。

この地域においては、当初は小さな事件にしか過ぎなかったが、その後の弟子たちの活動や、イエスをユダヤ教の教典「旧約聖書」に予言された救い主メシアであると信じる人々によって、やがて「イエス・キリストの誕生」となり後代に大きな感化を与えることとなっていきました。
イエスの足跡を辿りたいという聖地巡礼は古来から数多く行われ、イエスゆかり場所には、教会や様々なモニュメントが残されています。 但しその個別の場所についても、キリスト教会派において異なる地点が聖地とされたり、また不確な部分も数多くあります。
主要な地域は、大きく2つに分類され、布教活動の中心地であったガリラヤ地方は、気候的にも恵まれた地域で、この地方での記述において、イエスは、さまざまな奇跡と伝説を表しています。 

艱難辛苦と受難の地である、後期のエルサレムは砂漠地帯に面した地域で、ガリラヤとは違った「厳しさ」が現れた地と云えそうです。奇跡の物語は消え、受難から復活の道を辿った地域です。

イエスの足跡:2D地図を表示

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ガリラヤ湖

イエスがエルサレムで受難の時を迎えた後の時代。 帝政ローマ期の66年から73年の間ローマ帝国とローマのユダヤ属州に住むユダヤ人との間で行われた戦争(ユダヤ戦争)が勃発しました。 ローマ帝国軍により、エルサレムの神殿は炎上し、反乱は鎮圧されることになり、その後ユダヤ民族は流浪の歴史を迎えます。 
イエスが活動していた場所も同様に惨禍を受けたとされ現在に残されているゆかりの場所は、新約聖書などから逆引きされ設定された場所も多く(宗派によっては聖地とされる場所も異なる場合もある)、必ずしも史実どおりの再現とはなってはいないとされています。
地図にあるイエスが受難時に十字架を背負って歩いたとされる、「悲しみの道」は、現在に再現されています。 

イエスの足跡(エルサレム):2D地図を表示

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イエスの墓