フィレンツェ 地図

フィレンツェ地図

フィレンツェは、フロレンティアという名で、紀元前1世紀にカエサルによって建設された古代ローマの植民地の一つでした。
11世紀初頭から12世紀に、トスカーナ候を領有地の中心としてフィレンツェを居住地と定めてから、重要な建築物が作られるようになりました。商工業においては、毛織物業と絹織物業で発展し生産品はヨーロッパ中に輸出され、それに伴い金融業も盛んとなります。
15世紀、富裕家の一つであるメディチ家から、複数の町の指導者が何人か輩出し、財政・芸術の分野で特異な功績を上げ、第一期ルネサンスの中心都市となりました。 その後の盛衰を経てメディチ家の支配は17世紀まで続くことになります。 その後は、統治者の変遷を経て衰退期を迎えイタリア王国の首都の時代を経て、イタリア共和国トスカーナ州の州都である現在に至ります。
フィレンツェにおいて、文化的な基盤の建築物が造られはじめたのは、イタリアにおいては比較的新しい時代の11-12世紀であったことが、独立した気風を呼んだことの一因とされています。 古代ローマ等の遺跡などが存在していなかったことで、新しい時代の科学者・建築家・画家・彫刻家が生まれる上で、自由な発想の妨げとならなかったことも、フィレンツェがルネサンスの中心都市となった理由です。

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フィレンツェ

ピサ 地図

フィレンツェから西へ約100km 鉄道利用で約90分位
地中海沿岸から少し内陸側にあるピサの町は、ローマ帝国末期までローマの海軍基地となっていました。9世紀以降独立共和国となり、ジェノヴァ、ヴェネチアとともに地中海貿易により発展をしてゆきます。最盛期は12-13世紀で、最も美しい建築物が造られ、大学も開設されました。その後の盛衰を経て15世紀からは、フィレンツェのメディチ家の保護下に置かれることになりました。メディチ家は、この町で特に科学の分野で特別の配慮を行いました。

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ピサ出身の有名な人物は、科学分野の中興の祖とされるガリレオ・ガリレイ(1564-1642)で、トスカーナ大公のコジモ2世に保護されていましたが、地球の自転に関する理論展開において、宗教裁判所の弁明を求められ、70歳の時に自己の信念を否定することを強要されました。
ガリレオによるピサでの逸話は、史実の真偽は別として近代科学の発祥の場となったのは間違いないようです。
1つは、ピサ大聖堂で揺れるシャンデリア(一説には香炉の揺れ)を見て、振り子の等時性(同じ長さの場合、大きく揺れているときも、小さく揺れているときも、往復にかかる時間は同じ)を発見したといわれています。ただしこれは後世に伝わる逸話です。
2つ目は落体の法則を発見した際に用いて実験方法で、法則を証明するために、ピサの斜塔の頂上から大小2種類の球を同時に落とし、両者が同時に着地するのを見せた、とも言われていますが、こちらも後世に伝わる逸話であるかもしれません。
しかしながら、ガリレオが示した科学に対する考え方:第三者が同一の実験を行なった場合に、結果を第三者に再検証させることによって、自説の正しさを証明するという手法は、現代でも使用されている有力な論証方法の一つです。

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ピサ

サン・ジミニャーノ 地図

美しき塔の町と呼ばれています。
フィレンツェから南西は約60km,シエナの北西約40km フィレンツェからシエナに向かう場合:時間の余裕がある場合に立ち寄ります。
サン・ジミニャーノは人口約8千人の小さな町で、美しい塔が立ち並んでいることでよく知られています。この町並みが1990年にサン・ジミニャーノ歴史地区としてユネスコの世界遺産に登録されました。現在の新市街地はこの歴史地区から数km 離れた場所にあります。フィレンツェからローマに向かう場合に立ち寄りやすい地点にあるため、シエナを含めたトスカーナ地方の観光地としてツアーでも立ち寄る場合があります。
12世紀に自由都市となった村で、約200年の間繁栄の時代を迎えました。街に残る数々の塔は、都市内での権力争いの名残りであり、最も力と富を持つ者が競って最も高い塔を建ててきました。また、中世に自治都市として最も繁栄していた時代には、塔を壊すときには新しい塔を建てなけれればならない法律が整備されていたこともあり、最も多いときには72を超える塔が建っていましたが、多くは取り壊され、現在残っているのは14のみとなっています。

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サン・ジミニャーノ

シエナ 地図

フィレンツェから南へ約75km。 フィレンツェ以外のトスカーナ州都市を訪れる場合、第一の候補地です。
シエナが、商人と銀行家により繁栄した時期は、独立共和国であった13-14世紀のことで、イタリアの諸都市が宗教間抗争(教皇派と皇帝派に分かれ覇権を争う)の時代でした。 隣の強力なフィレンツェと対抗し、長く抗争が続いていました。 この動乱期ではあったものの、シエナでは壮大な規模で歴史的建築物が造られ、絵画のシエナ派が生まれるなど活発な時代でした。 その後は1348年のペストの流行後、人口減少に加え宗教間の抗争もあり15世紀はじめには、シエナは衰退期に入っていくことになりました。
市街地は、カンポ広場を中心に、大通りが丘の尾根を放射状に外に向かって伸びており、これらが街の基本的な骨格となっています。観光ポイントは街の中心部に集中しているので、ほとんどが徒歩で見て廻れます。年に2回(夏季)行われるパリオと呼ばれる裸馬の競馬レースは、街の代表的なイベントで、その時期は大変な混雑となります。
中世時代の末期、ゴシックの美術が栄え、当時はルネサンスのフィレンツェと肩を並べる芸術の中心地でもあったシエナは、現在では、カンポの時以外は、大変静かな中規模都市であり、カンポ広場、ドゥーモをはじめとする中世のたたずまいが今も残っています。

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シエナ

アッシジ 地図

アッシジは、フィレンツェから南に180km。 ローマから北に180km。 ちょうどフィレンツェ・ローマの中間点にあるウンブリア州の都市です。
残念ながら3D地図にはまだ対応できていません。

アッシジはウンブリア州の中心に位置するモンテスバジオ山麓の丘の上標高500メートルに位置する小さな街です。
街の歴史は、大変古く、古代ウンブリアの中心地として栄えた後、ローマ時代には重要都市として華やかな役割を果たしています。
この町が有名であるのは、サン・フランチェスコ San Francesco(アッシジの聖人、1182年―1226年)の誕生とその生涯の活動によりアッシジはキリスト教が繁栄する世界的にも重要な聖地の一つへとなりました。清貧の教えを貫き、聖人の死後には荘厳な大聖堂が建立され、内部はチマブーエ、ジョット、シモーネ・マルティーニなど当代きっての画家たちが華々しくしのぎを削り、競い合いながら珠玉のフレスコ画を次々と制作し、その結果アッシジはイタリア宗教芸術の宝庫ともなっています。
現在も、街ではサン・フランチェスコの名のもと様々な平和活動が行われており、平和の都市としても重要な役割を担っています。毎年秋には平和への行進la Marcia della Paceという行事が開催され、世界中から人々が終結しペルージャからアッシジを目指して共に行進、平和の願いを世界中へとアピールする上で重要な機会となっています。また巡礼の地としても信者が集う場所となっています。 

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