ミラノ 地図

ミラノ 地図

紀元前222年頃、メディオラヌムと呼ばれていた村を、ガリア人が征服。 その後はローマ人により発展の基礎が築かれた地が現在のミラノとされています。
紀元3世紀末以降、ディオレティヌス帝は、ミラノを西ローマ帝国の本拠と定めました。その後のコンスタンティヌス帝により、紀元313年キリスト教徒に信仰の自由を許した「ミラノ勅令」が発せられ、キリスト教徒にとっても重要な拠点の一つとなりました。 5-6世紀には、ゲルマン民族の移動に伴い、蛮族の侵入によりロンゴバンド族がこの地に王国を建設しています。 ミラノが再びイタリアの中心都市となったのは、962年になってからでした。
中世期においては、複数の豪族による支配下となり、その中にはレオナルド・ダヴィンチやブラマンテなどを呼び寄せたスフォルツァ家も含まれています。1535年から1713年まで、ミラノはスペインの支配下に置かれていました。その後は、ナポレオンのよる支配、次いでイタリア王国の首都、ロンバルド-ヴェネト王国と度々支配者が入れ替わる複雑な時代を経ています。
イタリアが現在のような形へと統一の気運が向かうのは、フランス革命以後で、ミラノを含めた諸地域の統合には約50年の時間がかかっています。占領者であったオーストリアに対する抵抗運動や、フランスとの間でイタリア統一問題を処理(ニースなどの沿岸地域の割譲を含む)しながら1870年のイタリア統一へと向かいます。
複雑な歴史を抱えているミラノに残されている建築物もまた一様ではありません。ローマやフィレンツェ、ヴェネチアと比較して歴史解釈の困難さが、観光における人気がやや低いことに影響しているのかもしれません。

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ミラノ

トリノ

トリノは、ピエモンテ州の州都で、街の北西部にはアルプス山脈が連なります。
紀元1世紀ごろ、タウリニ族(ケルトの部族)の都市は、ローマ人によってアウグスタ・タウリノールムという軍事植民地となりました。 その後はキリスト教化され5世紀はじめには司教座も設けられました。6世紀になるとロンバルディアの君主に委ねられ、後にはフランク族の支配下に入ります。 11世紀以降は、900年間、トリノはサヴォイア家と運命を同じくし盛衰を共にして行きます。 サヴォイア家は、中世期に興った家系で、サヴォイア地方とピエモンテ地方、次いでサルデーニャ島とイタリアを統治し、また1861-1946年までイタリア王を生んでいます。1870年のイタリア統一時のヴィットーリオ・エマヌエレ2世もトリノのサヴォイア家の出身です。
トリノは、北部イタリア地域の機械工業の中心都市で、イタリアの自動車産業の中心地としても有名です。

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