ナポリ・カプリ島 地図

ナポリ地図

ナポリは、イタリア南部・カンパニア州の州都で、ナポリ県の県庁所在地であり、世界三大夜景の街とされています。
紀元前6世紀古代ギリシャ人の植民活動によって開かれたとされ、その後、ナポリは長くローマ帝国の支配下にありましたが、476年の西ローマ帝国滅亡後、南イタリアは東ゴート族やランゴバルド族の支配が及ぶなど流動的な状況となります。6世紀になると、東ローマ帝国のユスティニアヌス1世がイタリアの再征服に乗り出し、イタリア半島はラヴェンナを首府とするビザンツ帝国の属州となり、ナポリ市には660年にビザンツ系の公国が設置されています。さらに12世紀にはノルマン人、13世紀にはアンジュー家とアラゴン家、16世紀にはスペイン総督、18世紀にはフランスのブルボン王家の支配を受けてきた歴史があります。1860年ナポリを含むシチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディに征服されイタリア王国に併合されて、2つの大戦後イタリア共和国の一部となり現在に至っています。

2D地図も添付 3D地図より分かりにくいと想われますが、添付しておきます。内容は同じです。

ナポリ3D地図を表示 click すると Google Earth Web版が展開します。
ナポリ

周辺都市地図

ナポリ近郊の都市案内地図を表示しています。
リゾート地であるため、1週間程度の滞在が理想的ですが、カプリ島などは、ナポリから1日観光で訪問できるツアーもたくさんあります。

2D地図も添付

ナポリ周辺都市の3D地図を表示 click すると Google Earth Web版が展開します。
内容は同じですが3D地図の方がより分かりやすく表現されています。 2D地図と双方活用下さい。
ナポリ周辺都市地</a>図” /></p>
<h1>カプリ島</h1>
<p>カプリ島はナポリから約30km(航路)、 一番近い大陸側の港はソレントで約10kmの距離にあります。 地中海に浮かぶ島で外周は約17キロメートル最高峰はソラーロ山 (Monte Solaro, 589m)。<br />
温暖な気候と美しい自然環境から古代ローマの時代より現代まで有名なリゾート地となっています。<br />
島には二つの都市部、カプリとアナカプリがあります。 島の北側にマリーナ・グランデ (Marina Grande) 、南側にマリーナ・ピッコラ (Marina Piccola) と呼ばれる海岸地域がありますが、カプリ島の周囲の多くは断崖絶壁であり、そこには海食洞が散在しており、「青の洞窟」は、そのうちのひとつです。 砂浜はごく限定された地域にしかありません。</p>
<p>青の洞窟へは、入り江から手漕ぎの小船に乗って入って行くことができ、入り口は狭く、半ば水中に埋もれています。天候や波の状態により、進入不可能である場合も多くなっているので時期と時間帯によっては注意が必要です。内側に入ると、潮力によって侵食された数十メートルに渡る洞窟内の広大な空間が広がり、水中に伸びている穴を通して水面から洞窟全体が紺碧の光を帯びて、神秘的な雰囲気を表します。海面がきれいな青に輝くのは、午前中の太陽の傾斜角が良く、観光客も集中する時間帯です。また手漕ぎの船のため、多量の観光客が押し寄せるオンシーズンには大渋滞となってしまう場合もあり、かなりの大混雑となっているようです。</p>
<p><strong>カプリ島2D地図を表示</strong><br />
<iframe src=

カプリ島3D地図を表示  click すると Google Earth Web版が展開します。
カプリ島

ソレント・アマルフィ

ソレントは、その歴史よりもカンツォーネの題名で有名な町で、海水浴場や避寒地として整備されている町です。ナポリから定期的な船便も運航されています。

アマルフィとその周辺地域は、イタリア全土で最も古い海運都市国家で、840年に市が建設され、9世紀末には総督を頂点とする共和国形態をとり地中海貿易で発展をした地域です。11世紀に最盛期を迎え、東地中海地域の諸都市(コンステンティノープルがその代表)と定期的な通商経路を保持していました。十字軍の遠征時に兵士の海上輸送に当たったのもアマルフィの船団でした。
平地が少なく断崖が海に面した地域であるため、現在は景勝に優れたリゾート地帯となっています。 海岸線にある見どころは、陸地からのアクセスが困難な場所もあります。ソレントに至る陸上ルート一帯がアマルフィ海岸地帯と呼ばれています。

ソレント・アマルフィ2D地図を表示

ソレント・アマルフィ3D地図を表示  click すると Google Earth Web版が展開します。
ソレント・アマルフィ