東京

皇居ランニング:動画による地図を表示

皇居ランニングは一周約5キロの周回コース。スタート地点は特に決まっていません。反時計回りの周回コースを走ることがルールです。
皇居ランの最大の魅力は、信号待ちがないことで、1周約5キロのコースをノンストップでランニングできます。
桜田門前は、広場になっているため、多くのランナーが利用するスタート地点となっています。
左手に皇居外苑の美しい松林、右手には丸の内の高層ビルがそびえ立っています。桜田巽櫓が見え、鉄砲や弓矢用の狭間が、備わっている櫓です。
この付近のコースは、やや狭い部分もあります。
平川門近くの、竹橋付近には、小さな公園があり、ベンチ、トイレ、水道があります。この公園をスタート地点にする方も多く、桜田門についで人気のあるスタートポイントとなっています。桜田門から約2kmの地点です。
千鳥ヶ淵公園にも、トイレ、水飲み場、ベンチがあるので、休憩スポットとして利用されています。
千鳥ヶ淵公園から桜田門までの約2kmは下り坂になります。
桜田濠の壮大な眺めと、右側には、日本の行政機構の重要な建物が並ぶ区域です。

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3D地図を、Google Earth Web 版で表示します。 これは任意の場所を表示させることができます。

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上野公園 地図を動画で表示

上野公園
明治維新から50年以上をかけて、文化が集積した上野公園は、近代化の中心地となりました。 1882年明治15年に開園した、日本ではじめての動物園。 1887年明治20年には岡倉天心によって東京藝術大学の前身となる「東京美術学校」が設置され、横山大観をはじめ、日本を支えた芸術家たちを輩出しました。 現在では、世界文化遺産の国立西洋美術館のほか、4つの美術館と2つの博物館が集中する地域でもあります。

現在の上野公園は、江戸期には、上野寛永寺の境内に当たります。 徳川将軍家の菩提寺も兼ねて歴代将軍の霊廟も造営され、格式、規模において我国最大級の寺院としてその偉容を誇りました。 ところが幕末の戊辰戦争では、境内地に彰義隊がたてこもって戦場と化し、官軍の放った火によって、全山の伽藍の大部分が灰燼に帰してしまいました。 その後、明治政府によって境内地は没収され、明治から昭和にかけて、現在の文化圏が 上野公園内に造られることとなりました。

上野公園は、自然災害と戦争災害の歴史も併せ持ちます。
大正12年 1923年 9月1日、東京を、マグニチュード7.9と推定される大地震が襲いました。105,000人あまりが死亡したこの震災によって、当時の下町地域には、甚大な被害が及びます。地震による倒壊や火災から逃れるために、被災者たちが選んだのが延焼の可能性がない上野公園でした。

昭和になると、関東大震災の被害から立ち直ったのち、第二次大戦中の上野公園には高射第1師団司令部が置かれ、不忍池も水田に姿を変えました。戦争は、命だけでなく、文化や、景観をも、奪っていったのです。1945年の、東京大空襲においても、おおぜいの避難民・罹災者が、公園内の防空壕や空き地に避難しました。先の、関東大震災同様、上野公園は防災空地としての役割を充分に果たしました

江戸期から、上野の山と呼ばれるように、周囲からは高台にあった上野公園は、現在では、桜の名所となっています。
公園西側の幹線道路沿いには、複数の高層建築物がたてられ 現在の上野公園は上空からの景勝地へと変化を遂げつつあります。
公園の南側から秋葉原周辺にかけては、再開発がすすむ地域で、高層建築ぶつが、たてやすい商業地域として認定されているため、将来は高層ビル群に、囲まれた、都会のオアシスとなる可能性もあります。

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上野公園

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