アンダルシア 地図

アンダルシア州

非常に広範な領域ですが、主に地中海沿岸地域と内陸部とに分けられます。
アンダルシアは先史時代からローマ時代、イスラム時代を通じてイベリア半島の先進地域でした。しかし、レコンキスタの過程で大土地所有制が広がり、新大陸との貿易で繁栄したセビリアを除き、スペインでも貧しい地方の一つとなりました。 海岸沿いの外国人向けのリゾート地帯が広がるのも主にジブラルタル海峡に近い西部区域となっています。 

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アンダルシア

アンダルシアの主要都市の地図は、下段に別途表示します。
州全体の地図では、各地の有名な箇所を表示しています。 アンダルシアのイメージは、フラメンコ、白い家などが立ち並ぶ風景があります。
フラメンコは、やはり都市部に劇場となるタブラオ(深夜までの開催が一般的)が集中しています。 白い家の街並みは、意外と州内にたくさん存在しています。

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セビーリャ

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セビーリャ

セビーリャの象徴は、カテドラルとヒラルダの塔です。 高さ97mのヒラルダの塔は、イスラム統治下の12世紀末ごろ、モスクの尖塔として建設されたものです。キリスト教徒が奪還後、鐘楼などが追加されました。市内は中層住宅が立て込んでいるため、ヒラルダの塔は常に視界に入れておくことはできませんが、反対に塔の展望塔(70mの高さ)からは、街中が一望できます。
カテドラルの大きさは、サン・ピエトロ寺院(Vatican)、セントポール寺院(London)に次ぐ欧州第三位の規模で、これはスペインのレコンキスタの最終期にモスクの跡地に巨大聖堂を建築する強い意図をもって1519年に完成しました。(イスラム勢力から地域の主権を奪還したり、大航海時代の幕開けの時期であるスペインの黄金時代の幕開けの時期でした)。

15世紀後半、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国は、同世紀末にレコンキスタを完了させるとともに新大陸へ船を進めました。イベリア半島西岸と航路で結ばれているセビリアは、新大陸との貿易の独占港となって繁栄を誇ることになりました。

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グラナダ

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グラナダ

紀元8世紀にイスラム勢力・ウマイヤ朝のスペイン侵攻から約500年、11世紀に本格化したキリスト教徒の国土回復運動により、13世紀中頃イベリア半島においてグラナダが最後のイスラム拠点となります。
他のイベリア半島のスペイン領域はキリスト教徒が奪還を完了しました。

当初は、丘の上の城塞であったアルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは、この時期に建国したイベリア半島最後のイスラム王国であり、グラナダを首都としたナスル朝(1238年 – 1492年)の時代でした。宮殿の基礎となったのもこのイスラム勢力の最後の時代です。
1492年、カトリックのレコンキスタによってグラナダが陥落すると宮殿の基盤となっていたイスラム様式に、さらに手が加えられ整備されました。
アルハンブラ宮殿の特異性は、基盤はイスラム教徒の宮殿であることと、文化的に異なる様式が上手く融合された(カトリック勢力側から見た場合イスラム色を廃したとされる)建築物といえます。 
グラナダの街から見上げる高台に建築されている地勢や、北面に谷間(ダーロ川)を挟んで相対するアルバイシン地区との対比がすばらしい景観を生んでいます。

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コルドバ

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コルドバ

コルドバ、華やかさというよりいぶし銀のような風格を秘めた町で、千年程前ここに一大文化が栄え、ヨーロッパ随一の大都会を形成していたとは想像し難いかもしれません。
街の起源は古くローマの植民地「ベティカ」の時代で、後の10世紀イスラム教カリフ王国の時代に最盛期を迎えた際の人口は100万近くに達したとも言われ、現存する大回教徒寺院をはじめ市内には300ものイスラム寺院がありました。また学問の町でもあり、医学・天文学・哲学・文学等など諸学問の中心地でもありました。 古今東西の文献はここでアラビア語ギリシア語から翻訳されヨーロッパ全土へと流布されました。
人口は現在約32万人で、グアダルキビール川の中央に位置します。グアダルキビールとはアラブ語で「大いなる川」という意味です。
回教寺院(メスキータ)はもちろん、白壁に色々の花々がよく映える旧ユダヤ人街や中庭(パティオ)などがみどころです。

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