トルコ 地図

トルコ 地図

現在のトルコの地は、人間の有史以来、さまざまな民族が入れ替わって帝国や、王国が建設されてきた地域であり、現在も居住しているトルコ族が歴史に登場したのは6-11世紀ごろであるため、それ以前に興ったヒッタイト帝国・ペルシア帝国・東ローマ帝国などとは、構成された民族により区別されている場合があります。
ビザンチン帝国の建設・十字軍の来襲や、モンゴル勢力が衰えはじめた13-14世紀にオスマン・トルコ帝国が興り、最盛期である16世紀には、遠くヨーロッパ地域(ウィーン市包囲)まで侵略を開始。また北アフリカ地域やペルシア湾沿岸地域まで拡がる大帝国がつくられました。 その後、西欧の列強の勃興とともに、オスマン帝国は縮小、20世紀はじめドイツ側について第一次大戦にも参加するも敗戦、その後国外の領土放棄や連合軍による国内の分割統治によるトルコ民族存亡の危機を救い、現在のトルコ共和国の基礎(初代大統領にもなった)をつくったのがムスタファ・ケマル将軍です。 ムスタファ・ケマル将軍は、軍事力・ローザンヌ条約等で、国土をほぼ現在の領土として回復させ、オスマン時代のスルタン制度も廃止、共和国成立後は、イスラム教であった国教から政教の分離、教育の義務化、女性参政権、太陽暦(イスラム教では太陰暦)の採用、メートル法、ローマ字の採用など、トルコ近代化(防衛化含む)のために改革を行った世界有数の指導者でした。 生存中に称号アタチュルク(トルコの父)が与えられ、現在のトルコでも数多くの遺構が残されています。

トルコのEU参加は不透明な状況ですが、トルコから欧州へは移民をはじめ長期・短期の労働者として20世紀より数多くの人口移動がみられます。トルコの人口増加も永遠ではなく、21世紀の半ば以降ですが、ヨーロッパ諸国と同様に、人口減少カーブを描き始める予測となっています。

トルコ:2D地図を表示
上記の地図の通常配置図:(ドイツ:ペルガモン博物館を除く)

残念ながらGoogle Earth 3Dは、まだトルコ国内に対応していません。Google Street Viewの画像で表示しますが、地図が動いている際に、画面上をクリックすると移行動作が停止して、地図上の配置が分かります。

トルコを3D地図で表示 click すると Google Earth が展開します。
トルコ

イスタンブール

イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市で、その中心を貫くボスフォラス海峡は、黒海、マルマラ海、そして金角湾に注ぎ込んでいます。イスタンブールは、かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都でした。これは、イスタンブールが交通の要衝の地点に存在するため、世界帝国を築けるほどの軍事力を有していないと防御することが困難という他国からみれば垂涎の地であったといえるでしょう。

イスタンブール:2D地図を表示

イスタンブールには、各々の帝国時代からの過去の遺産も数多く残しています。支配する民族や宗教が入れ替わった結果、イスタンブールには多彩な文化が蓄積されてきました。博物館、教会、宮殿、モスク、バザール(市場)、美しい自然など、見ておきべきものは非常に多岐に渡ります。
その観光ポイントが集中する地域が、旧市街で、かつて侵攻不可能の城壁といわれた イスタンブールの城壁 (テオドシウス城壁)は、マルマラ海から金角湾まで7キロに渡って伸びています。今までに何度も修復された城壁はテオドシウスⅡ世が統治していた5世紀のものといわれ、ユネスコにより、城壁と城壁囲む地域を世界文化遺産に指定されました。 旧市街を回るだけなら、ほぼ徒歩で観光は可能です。また河岸にはアジア側に向かう渡し船や、ボスフォラス観光船が運行しており船上からイスタンブールの風景を楽しむことも可能です。

ガラタ橋上空から金閣湾+イスタンブールの俯瞰

画像を反転させるとアジア側の風景も見えます。 この付近の展望はガラタ塔から見ることができます。

ブルー・モスク(スルタンアフメット・モスク)

アヤ・ソフィア寺院と向かいあうように建つ優雅な6つの尖塔を持つモスク。1609年~1616年に建築家メフメットによって建てられたこのモスクは、内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることから、 ブルーモスク という名で広く知られています。夏の夕べには、光と音のショーが繰り広げられます。

アヤソフィア

聖ソフィア大聖堂は、現在 アヤソフィア博物館と呼ばれています。コンスタンチヌス大帝によって建てられ、6世紀にユスチニアヌス帝によって再建されたこの建物の巨大なドームは、地上55メートル、直径33メートル(世界第4位の規模、ローマ、ミラノ、ロンドンに次ぐ)。当初はキリスト教会堂として建設されオスマン・トルコ時代にモスクとして改装されました。内部は荘厳な静けさが広がり、見事なビザンチン文化のモザイク画を鑑賞することができます。

ルメリ・ヒサル

ヨーロッパ側にある要塞で、メフメット征服王が1452年、イスタンブール侵攻に先立ってわずか4カ月で造りあげたものです。世界の軍事建築物の中でも最も美しいものの一つです。対岸にはもう一つの要塞アナドル・ヒサールがあり、この地点が海峡がもっとも狭い場所でありコンスタンティノープルへの救援船を砲台から挟み撃ちにしたという。

3D地図

イスタンブールとトルコは、まだ地図の3D化が完了していません。
Google Street View の画像を利用しますが、位置関係は3D地図の方が分かりやすくなっています。

イスタンブールを3D地図で表示 click すると Google Earth が展開します。
イスタンブール

カッパドキア

カッパドキアとは、首都アンカラを中心とする中央アナトリア州の地方名称です。
その領域は南北50㎞に渡り、エリア内には数々の村や見どころが点在しています。カッパドキアの歴史は古く、人間が住み始めたのは紀元前8000年-7000年以上前といわれ、紀元前1900年頃のヒッタイト時代にはすでに交易で栄えていたといいます。
その後、ペルシャ人、ローマ人、ゴート族などの侵入を経て、4世紀にビザンチン帝国が成立した際、その領国となりましたが、キリスト教徒が岩に穴を掘って住むようになったのもこの頃からで、現在見学できる岩の住居や教会の多くは、6世紀頃、アラブ人から逃れたキリスト教信徒たちが造ったものです。
大地は白、ピンク、ベージュなどさまざまな色の地層に覆われています。 これは、数億年前に起きたエンジェルス山の噴火(火山灰の堆積)によるもので、何層にも積み重なったところに、雨や風が浸食し、現在の不思議な形の岩々が生まれました。
キノコ岩や何層ものカラフルな岩肌が象徴するカッパドキアの地形は、火山と風雨によって生まれました。不思議な形を生んでいるのは堆積している地層の侵食される硬度差及び時間差によるものです。また、カッパドキア地方を東西に流れるクズル川は、トルコ最長の川ですが、この支流も大地を浸食し、大小の谷を造り出しました。カッパドキアは中部トルコの代表的な観光箇所となるため、ほとんどが近郊に宿泊して地域のポイントを巡ります。 バスなどを利用した団体ツアーでは、ガイドさんがいるため効率よく最低1泊程度で代表的なポイントを廻れると思いますが、個人旅行の場合は、ポイントからポイントまでの移動手段の確保をしなければならず、割合と手間がかかると思います(近郊で最低2泊位)。しかしながら個人旅行の場合は、ギョレメにみられるような洞窟を改装した宿泊施設に泊まれる選択肢もとれるのでより思い出深い場所となるかもしれません。

カッパドキア:2D地図を表示

ウチヒサール(巨大な一枚岩)

巨大な一枚岩で形成された城塞が村の中心となっていて、頂上まで上ることができる。展望台からはギョレメ・パノラマといわれる白色のなめらかな岩肌の波が広がる谷間の風景を眺めることができる。

ギョレメ・パノラマ(展望所)

白い岩肌の風景が広がる展望所 奇岩が広がる地帯に気球が浮かぶトルコの風景は、この地が舞台です。

カッパドキア地方は、地図の3D化はされていません。よって画像が中心のGoogle Street Viewを利用しています。
全部の地域を回れる規模の大きさですが、さすがに全部見てまわると最後には飽きてしまいます。
事前に画像からポイントを絞っていたほうが良いと想います。

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トルコ