シンガポール

シンガポール中心部 地図

高層ビルの屋上に巨大なプールが設置されているのは、シンガポールのマリーナベイ・サンズ(Marina Bay Sands)で、シンガポールのマリーナ・ベイに面した総合リゾートホテルです。タワー1、2、3と3つの高層ビル(最高部で高さ200m、57階建て)を屋上で連結した構造は非常に珍しいものです。 美しいというよりやや異形な建築物です。

シンガポールにおける第二次大戦後 1945年8月、太平洋戦争による日本の敗戦により日本軍が撤退した後、再びイギリスによる植民地支配は継続することになりました。その他多くの国でみられたようにイギリスの植民地支配は終焉を迎えることとなりました。 1959年6月にシンガポールはイギリスの自治領となり、1963年にマラヤ連邦、ボルネオ島のサバ・サラワク両州とともに、マレーシア連邦(Malaysia)を結成することとなりました。
マレー人優遇政策を採ろうとするマレーシア中央政府と、イギリス植民地時代に流入した華人が人口の大半を占め、マレー人と華人の平等政策を進めようとするシンガポールとの間で関係が悪化。少なからずの軋轢を経て、1965年8月9日にマレーシア連邦から追放される形で都市国家として分離独立を果たすこととなりました。

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シンガポール

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シンガポールが歴史上で、大きな分岐点を迎えたのが、1819年。
イギリス人のラッフルズがジョホール王国からシンガポールを割譲させ、イギリスの支配下に置いたことに始まります。当時 中国までの進出を目指すイギリスは東南アジアの交易ルートを制するシンガポールの地理的重要性に着目してシンガポール港を開き、1826年にシンガポールはマレー半島のペナンやマラッカとともにイギリスの海峡植民地となりました。
植民地時代は、同じくイギリスの植民地であるインドやオーストラリア、中国大陸などとの間でのアヘンや茶などの東西交易、三角貿易の中継地点としての役割を発展させるとともに、シンガポールを東南アジアにおける植民地拠点として、イギリス海軍および陸軍部隊を駐留させ要塞化を進めていきました。

国家としての土地が狭いことから、淡水は、北部のマレーシアから輸入することとなっていますが、土地が少ない国土においても、淡水資源のための貯水池が作られています。

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