タイ 地図

タイ王国 地図

タイは昔シャムと呼ばれ、13世紀中頃から独立と王制を維持してきました。現在の人口は約6.600万人。国土面積は日本の約1.4倍で北部の山岳地帯を除いて高原と平野が大部分を占め、中央平野は東南アジア随一の穀倉地帯となっています。
年間の平均気温は約29℃で、バンコクでは一番暑い4月の平均気温が35℃、一番涼しい12月の平均気温が17℃とされ、ちょうど北半球の冬季にヨーロッパからのリゾートに向かうツアーも増加し、日本をはじめとするアジア地域やアメリカからも年間を通して観光客が多く訪れます。
民族的には、タイ族が約85%、中華系が10%、他にモン・クメール系、マレー系、ラオス系、インド系が暮らしており、山岳部にはそれぞれの文化や言語をもった少数民族が暮らしています。 ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジア、マレーシアと国境を接しており国境地帯においては他国の影響も少なからずあります。地方に都市区域とされる場所は、ほとんどなく人口1000万人(周辺人口を含むとより多い)の首都バンコクが集中度においては突出しています。

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バンコク

バンコクの歴史は、意外と新しく1782年、現王朝の始祖ラーマ1世がそれまでのトンブリーからチャオプラヤー川対岸に首都を移したことに始まります。遷都した理由は、市街地中心部を流れるチャオプラヤー川東岸に街の中心を据えることにより、西北方面から侵入してくる当時のビルマのコンバウン王朝(現ミャンマー)に対する防御ラインの構築のためでした。河畔から開発が始まり、主に東岸地域に新しい市街地が形成されていきました。
市内には高級ホテルからバックパッカー向けの安宿までが立ち並び、近隣のアジア諸国の他に、ヨーロッパやアメリカから来た観光客にとって東南アジアでのゲートウェイ都市のひとつとなっています。 交通の要所である上に観光資源が豊富なこともあり、寺院や歴史的建造物が多数存在する他、物価も比較的安いことから、非常に人気が高い都市の一つです。

バンコク 地図

ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)

タイで最高の地位と格式を誇る仏教寺院であり、王室の守護寺。王室専用であり、タイで唯一僧侶のいない寺院です。ヒンドウー教の神話をアレンジしたラーマキエン物語の描かれた本堂には、高さ66cmの翡翠でできた本尊が安置されています。

ワット・アルン

三島由紀夫の小説・豊饒の海第3巻「暁の寺」のモチーフにもなった壮大な寺院。陶器の破片に覆われた高さ79mの大仏塔が朝日を浴びきらきらと輝く様や、夕日を背に浮かび上がるシルエットにも趣があります。

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バンコク

プーケット

タイ南部のアンダマン海に面するタイ最大の島で、世界有数のリゾート地として知られるプーケット。エメラルドグリーンの海と真っ白な砂浜の美しさから「アンダマン海の真珠」と称されています。年間を通してビーチリゾートやマリンスポーツが楽しめるほか、島内77%を山地が占め、熱帯モンスーン気候。うっそうと生い茂るジャングルを満喫出来る様々なアクティビティを体験することができます。
プーケット:2D地図を表示

島内で最も賑やかなパトンビーチでは、タイならではのエンターテイメントやショッピングなどが楽しめる施設が充実していて、アクティブ派の観光客に人気です。
プーケット・タウンと呼ばれる旧市街は地元の人々の生活の場となっていますが、シノポルトガル様式のタウンハウスで形成されたレトロな街並みがフォトジェニックスポットとして近年注目を集めています。すずの採掘・交易が盛んだった時代に、ポルトガル人や福建省出身の中国人がたくさん訪れて街を作り上げてきた歴史を今に伝えています。

パトンビーチ

プーケット島の西海岸に位置するビーチリゾート タウンです。アンダマン海に面したパトンの三日月形の砂浜のビーチには、カフェやレストラン、バーが並んでいます。パトンはまた、夜になるとネオンが光るバングラー通り沿いや、パトン OTOP ショッピング パラダイスの通りに軒を並べるビールバーやゴーゴーバー、ナイトクラブ、マッサージ店、キャバレーなどのナイトスポットが盛り上がりを見せることでも有名です。

ナイヤンビーチ

スリナット国立公園の中でも格別に景色の良いビーチプーケット国際空港から車で約10分。最近は飛行機と一緒に写真撮影するのもブームになっています。

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プーケット
Somchai SumnowによるPixabayからの画像

アユタヤ

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アユタヤ

バンコクの北、約80kmの場所に位置するアユタヤは、1350年にアユタヤ王朝の都として築かれ、チャオプラヤー川を中心とした水運を利用し、近隣国だけでなく中国、ペルシャ、遠くヨーロッパとも交易を広め、最盛期には東南アジア最大の都市へと発展しました。17世紀には日本と御朱印船貿易により、1500人が住む日本人町も形成され、山田長政が傭兵隊長となっていたことは有名です。
アユタヤの王たちは上座仏教を信奉し、都に数多くの寺院や宮殿を建立しました。今日残っているほとんどは、都ができて150年の短期間に建てられたものです。 35代にわたって続いたアユタヤ王朝も1767年、ミャンマーの軍勢によって滅亡します。現在のアユタヤは、この侵攻により廃虚となった遺跡が残され、当時の面影を伝えています。
東西約7km、南北約4km、四方を川に囲まれた島状の街、アユタヤへは、バンコクからバス、列車、船で行くことができます。首都から近いこともあり、複数種類の変化に富んだパッケージツアーが組まれています。 遺跡が残る範囲は、ことのほか広く徒歩での移動は困難です。 また遺跡見学のみだと飽きてしまうので、バンコクからアユタヤ途中へのバン・パイン宮殿訪問を組み入れたり、遺跡めぐりを象の背中に乗ってまわるツアー、また夜間遺跡がライトアップされているので、それを目的とするツアーなど選択の幅が数多くあります。 

アユタヤ 地図

スコータイ

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スコータイ

スコータイは10世紀ごろ、現在の中国南部域からタイ中部に生活していたタイ初の独立王国で、当時のクメール帝国を追放し1238年に建都したことに始まりました。 タイの歴史に偉大な足跡を残したラムカムヘーン王は初代王の子息で1278年に即位、治世中にスコータイの勢力拡大を行い、中国から陶器職人をタイに連れ帰り技術伝承を行いサンカローク焼きや、クメール文字を改修したタイ文字を生み出しました。
また、ラムカムヘーン大王は宗教と文化の発展にも力を注ぎ、この時代に仏教が広く浸透し、タイにおける仏教芸術の古典様式を開花させることになりました。その後、計8人の王がスコータイを統治していた時代を経て、アユタヤの属国となり1365年に終焉を迎えることとなりました。 タイの首都が400年間アユタヤに、その後バンコクに遷都され現在に到る時代の中で、スコータイの遺跡は数百年間密林の中で、眠っていましたが現在は歴史公園として修復後、世界遺産としても指定され現在のタイの礎を築いた重要な歴史都市として東南アジアでも有数の規模となっています。
バンコク(440km)やチェンマイ(350km)からは、かなりの遠距離となってしまうため宿泊が必要となるでしょう。 街の主な施設は新市街(14km)にあります。

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チェンマイ

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チェンマイ

タイ・北部にある郡(アンプー)でチエンマイ県の県庁所在地。人口は約50-60万人で人口規模ではタイ第3の都市。
タイ民族の起源については諸説があり、不明な点も多いが10世紀ごろに現在中国の南端からメコン川にそって南下してきたとされる。チェンライは、現在のタイ中央部のアユタヤ-バンコク系統とは別系統のタイ民族が、北部地域に興した王朝の中心都市として発展してきた。起源はラーンナータイ王国の首都として、メンラーイ王により1296年4月12日建造された。王国の首都として古くから発展し、ラーンナータイ王国が廃止された現在(隣国ビルマ(ミャンマー)の支配下時代を経て、ラーマ5世によりタイに併合となった)でも北部の文化・経済の中心である。
市街地は、四方を堀に囲まれた旧市街と、その周囲に広がる新市街からなる。かつては堀の内側を城壁が囲んでいたが、道路建設のために取り壊されたが、城壁の跡は航空写真ではっきりとみることができる。
ラーンナータイ王国時代の寺院などの文化遺産が、多数残っているため現在では観光地として名高い。北部山岳地帯のトレッキングツアーやマウンテンバイク競技の拠点にもなっている。毎年4月にはソンクラーン(水掛祭り)、11月にはローイクラトン(灯篭流し)が行われ、この時期にはタイ国内から多くの観光客が集まってくる。 バンコクから比較すると高地にあるため涼しく過ごしやすい。

チェンマイ:2D地図を表示